I am not cheating, but ...

am just looking for true love.

人生の中間テスト

相変わらず心が乱れているので、文章を書いて心と落ち着かせたい。友人と話していたところ、うまく自分の欲望を言語化できそうなので、以下に記してみる。

ここまで誰かに恋に落ちてしまったのは久しぶりだ。転勤前は、思わせぶりで好きにさせるのが好きなだけの女に非モテコミットしてしまったことはあったが、文字通りの恋に落ちたことはなかったと思う。非モテコミットはなるべく避けるように自分に言い聞かせていたし、婚活は条件から入るので、必ずしも好きだからデートをするという訳ではなかったので。大学院時代の会話パートナーの一件以来だと思う。

彼女は美人で、聡明で、海外留学の経験もあり、自信家である。そんな格が高い女と付き合えるとしたら、それは自分自身の自信獲得に繋がるはずだ。自信とだけ書くと「なんだ、そんなことか」と言われそうだが、僕にとっては深い意味がある。これは人生の中間テストで合格点がもらえるか否か、なのだ。

僕は過去にも、その時々の文脈において格上の女性に恋をして、全く相手にされず、フラれて、死にたくなったことが何回かある。中高生の頃は「自分は他人から愛される価値がない人間だ」とまで思い詰めたことがある。まぁ中2病的認知の歪みではあるのだが…。そんな僕は、彼女らに認めてもらえるような男になるために、彼女らとつり合う格が高い男になるために(もちろんそれだけが理由ではない)、今まで努力してきた。言い換えるなら、格が高い女と付き合うということは、過去の自分の努力・成長に対する成績表なのだ。付き合うことができれば合格、つまり今までの努力が報われたことになる。付き合えなければ不合格だ。バカバカしいと思うかもしれないが、非常に客観的な、目に見える成果なのだ。

特に今回彼女に強く惹かれるのは、恐らく彼女が「元々スペシャル」な「あちら側」の人間だからだろう。勝手な推測で恐縮だが、彼女は容姿に優れて、友達も多く、勉強もできたのだろう。当たり前のように彼氏を作り、セックスしていたはずだ。そんな女性は非モテだった僕には高嶺の花で、手の届かない存在だった。そんな劣等感を抱えた中高大学生の頃から10年以上が経過し、気づいてみれば、そんな彼女らとの相対的な格差が未だかつてなく縮まったのだ。そりゃ努力してきたからなぁ。今度こそ、手を伸ばせば届くのではないか、と思いたい。だからこそ彼女が欲しい。もし彼女を得ることができれば、この10年以上の努力が報われるのだ。ついに僕も「あちら側」の仲間入りをした気分になれるのだ。自分自身に「がんばったね。お疲れさま」と声を掛けてあげることができるのだ。

今の彼女では、この欲望は残念ながらが満たせそうにない。彼女は僕と同じ「こちら側」の人間だ。確かにその方が気が楽だし、彼女は僕を尊敬してくれて、本当にありがたいのだが…。しかしこんなことを書いて本当に自分はクソ男だと思うのだが、格下の女に尊敬されても自尊心がそこまで満たされないのだ。「あなたに僕の何が分かるの?」「この女に尊敬されてもなぁ…」と思ってしまう。格が僕と同等もしくはそれ以上の女じゃないとダメなのだ。婚活をしている時は、この欲望に全く気づかなかった。正直忘れていた。相手を選ぶ条件に社会経済状況(SES)の下限を設けていただけだった。彼女ができ、でも心のどこかで満たされなさを自覚し、ある女性を前にして心の奥底に眠っていた欲望が発露したのだった。過去9ヶ月間の婚活で出会ってきた他の女でも、この欲望は満たせなかっただろう。

今この記事を書き終えるタイミングで、たまたまRadioheadのCreepが流れてきた。僕の中高時代の(実際には僕より少し上の世代の)アンセムだ。久しぶりに聴いた。この曲の ”You’re so fuckin’ special. I wish I was special”という歌詞のフレーズが好きだった。元々スペシャルな存在だったあなたに、全くスペシャルじゃなかった自分の存在を、認めさせたい。認めさせ、乗り越えることで、この十数年間の雪辱を果たせる気がするのだ。


Radiohead - Creep (live SummerSonic, MTV, 2003)

こうした自意識や執着から自由になりたいものだが、なかなか難しい。あぁ、僕はいつになったら幸せになれるのだろう…